後の日に起こること
創世記49章1-12節
自分の結婚相手が一生自分を疑い苦しめるような人なのか、もしくはその人が一生浮#27671;ばかりするような人なのか、結婚前にそんな後日のことをどうやって知ることができるでしょう。私たちは後の日に起こることを知らないまま目の前の環境だけで判#26029;し、結婚します。私と私の子供に上に後の日に起こることをどうすれば知ることができるのでしょうか。
ヨセフを分別してから、ヤコブは他の息子たちも皆、呼び寄せて公開的に祝福をします。後の日に起こることを話すため、集まって耳を傾けよ、お前たちの父イスラエルに耳を傾けよ、といいます(49:1-2)。常に信仰の場に出向くことが、後の日に起こることを知る秘訣です。#65378;(その身の上に)起こること#65379;といったのは、腹いっぱいの不自由ない豊かな環境ではなく、十字架を#32076;た祝福を表します。福音とはこれから受ける苦しみであるため、十字架を#32076;た祝福が最高の祝福です。49章のヤコブの予言はほとんど呪いのような#20869;容です。ですが、この呪いは12人の息子たちの人生の結論です。無#26465;件にうまくいくことばかり願ってあげるのが祝福ではありません。ヤコブが12人の息子たちの特#24500;を正確に見#25244;いて予言したように、自分の子供を客#35251;的に分別し、互いに罪人であることを認め、聞くことがカナンへの近道です。
ヤコブはどんな祝福をしていますか?長子であるルベンに「優れない」の祝福を話します(49:3-4)。
#24403;時、長子のルベンには特別な地位と法的な特#27177;がありました。その上、優れた能力と誇り高い名#35465;までをもつ、すべてを手にしていたルベンでした。ですが、その息子(ルベン)が父の#23517;台に上り、父の妾であるビルハと情を通じました。自分の優れたものを持って罪を犯し、優れない人生を#27497;むことになります。我が子が罪を犯し、優れない人生を#27497;むことになったとしても、その事件を通じてイェスに目を向けることができたのなら、それが祝福です。どんなことであろうと、それを自分の上に起こるべきことであったと認め、「優れない」の十字架を背負ってゆくのが本#24403;の優秀さなのです。
シメオンとレビは妹ディナに#24375;姦を#20685;いたシェケムの人#12293;を殺し、そのことを叱った父ヤコブにまで#27503;向かいました(創34章)。怒りは激しく、憤りは甚だしいシメオンとレビが一#32210;にいないように、散らされる祝福が#19982;えられました(49:5-7)。予言どおり、シメオンはユダに#23646;され、レビは祭司の部族として土地を持たず、48の町に分かれて住みました。怒りと血#27671;いっぱいで生きてきたシメオンとレビが散らしの十字架を背負い、この世の#27531;酷で憤っている人#12293;を主の元へと導く使命を#25285;うことになりました。
ユダは兄弟たちにたたえられ、兄弟たちはユダに伏し#25309;むだろうと祝福します(49:8)。兄弟たちが自分にひれ伏す夢を見たのはヨセフでしたが、予想もしていなかったユダが祝福を受け、信仰の系#22259;を#32153;ぐ主人公になります。#65378;#36059;美#12539;告白#65379;という意味を持つユダという名のように、自分罪を告白する人がサタンの首を押さえるリ#12540;ダ#12540;になり、獅子の子のような主#27177;と勇#27671;で困難を解決し#20055;り越える力を持ちます(49:9)。イェスの#27177;勢と統治の王笏がユダにあり、誰もがユダに#24467;います(10)。#23455;と汁とぶどう酒を生み出すぶどうの木のように(49:11)、食われ踏まれる自己#29344;牲の祝福がユダの祝福です。困難によって自分を#29344;牲にする人にはぶどう酒と乳のような美しさがあります(49:12)。ルベンもユダも罪を犯しましたが、ユダは嫁(息子の妻)と#38306;係を持った罪を認め、悔い改めたからこそ、イェスの先祖となる祝福を受けました。自分が優れていないことと散らされることを受け止め、自分の罪を悔い改めるとき、優れない祝福から#28165;らかさを#23398;び、散らされる祝福からやさしさを#23398;び、自己#29344;牲の祝福によって統治の祝福を#19982;えられます。
#65378;ヤコブは息子たちを呼び寄せて言った。「集まりなさい。わたしは後の日にお前たちに起こることを語っておきたい。」#65379; -創世記49:1-