命の書に名を記されし者たち
ヨハネの#40665;示#37682;21章18-27節
#65378;クオバディス#65379;という映#30011;にはロ#12540;マに迫害を受けていたキリスト人の殉#25945;とマ#12540;カス(ロバ#12540;ト#12539;テイラ#12540;)とリジア(デボラ#12540;#12539;カ#12540;)の愛を取り上げられています。誘惑と迫害の中でも、リジアは自分の信仰を守り、同族を救っただけでなく、マ#12540;カスまでも進行へと導きました。新しい天と地に住む者、しのちの書に記されし者とは誰なのでしょうか?
一、各#12293;が#23453;石のように輝く城壁の#35388;のある人です。
先週のメッセ#12540;ジで、城は一万二千スタディオンですが、その城壁は144キュピットと、城壁がありえないほど城より小さく記されています。こういう城を見るためには城壁を通過しなければなりません。人の役割は小さく些細なものですが、本城であるイェスへと導くためには、この地で見せ示す城壁の役割を果たさなくてはなりません。12の門、12の天使、12の部族、12の礎石、12の使途、1万2千スタディオン、144キュビットのすべてに含まれている12という#25968;字はこと弱い人#12293;の共同#20307;を意味します。使途ヨハネは天#22269;がいかに幸あり、すばらしいところなのかを#25945;えるために淫女バビロンを描#20889;するときよりたくさんの#23453;石を使って描#20889;しました。ですが、聖なるモノは#20385;値#35251;であるため、#23455;#20307;がありません。大きなこの世の#27177;勢を拒むことが本#24403;の天#22269;を示せる城壁の#35388;です。城壁の#35388;をするためには、#30495;珠のように長い耐えと痛みが必要です。また、純金のように火でたたかれなくてはなりません。イェスを信じる聖なる城に入ると、いろんな所から私を助け、主と交われるたくさんの門、12の門があります。各#12293;が#23453;石のように光る城壁の#35388;がなければ、ほかの人を主へと導き、いのちの書に名を記すことができません。
二、自分が聖殿であることを知る人です。
私とイェス、神はすべて聖殿です。私が聖殿になり、神の直接統治を受けることで#65378;私は彼の神となり、彼は私の異なるだろう。私が聖なるため、あなた方も聖なれよ#65379;とおっしゃられた神の約束が成就されるのです。信仰#12539;希望を手に生き、天#22269;に行くと、信仰や希望はいらなくなり、愛のみが最後まで#27531;ります。この世で救いを成すためには愛がもっとも大切です。#23453;石のような城壁の#35388;と聖なる共同#20307;を通して自分が聖殿となり愛し、そんな自分を通してほかの人たちを天#22269;へと導くことができます。私たちのために死んでくださったイェスの愛により、今日私が自分の生き場で死ぬのが愛です。救いのためにはそれぞれの信仰が異なるため、知#24693;が必要です。自分が聖殿である人はどんな人でも愛で包み#36796;み、どんな場合でもその人に見合う愛仕方をします。
三、正直な人がいのちの書に名を記せます。
神の#26628;光がさすということは、すなわち、正直な行いを意味します。正直とは太陽や月の光がいらない、それだけで太陽のように輝くものです。正直の反#23550;は#20605;りです。#20605;りは事#23455;と自分の意見を#21306;別できないこと、#30495;#23455;を話しているけれど自分の言葉に責任取れないことです。至極善たるものは救いに#38306;することなので、正直には愛が必要であり、#30495;#23455;がなくてはなりません。大層な神の仕事をこなし、殉#25945;することより、今日、自分の日常の中でうそをつかないこと、正直に生きることがとても難しいのです。私の力では正直に行えません。#23453;石のような城壁の#35388;と聖なる共同#20307;の助けがあって初めでできるようになります。正直なシェアリングは相手の振興のレベルに合わせて配慮する#30495;#23455;と愛が必要です。正直に行うことは心と肉#20307;、精神、魂から#30495;#23455;と愛があふれることです。最後まで救いのために互いに助け合う愛をしてください。